西の湖、琵琶湖釣行でよく通っていた関ヶ原古戦場。最近は素通りしてますが・・・。徳川家康と石田三成との東西対決で有名な戦いです。
石田三成は中心的な人物だったが実際の総大将は毛利輝元らしいです。豊臣家自体も合戦には参加していなかったそうです。歴史の本などを読んでいると徳川家康の巧みな作戦が見えてきます。毛利輝元も石田三成も徳川家康の作戦にまんまと乗ってしまい関ヶ原の合戦を始めてしまったみたいな感じです。
実際に関ヶ原古戦場に立ってみると映画などで見るような平らな場所ではなく勾配の激しい土地で森も深く、こんな場所で?って思うような地形をしています。周りの山には石田三成陣跡など各所に有名な武将の陣跡が数多く残っています。
関西地方は歴史を感じる場所がたくさんありうらやましいですね。
↓とっても参考になるスゴ腕アングラーがたくさん!
Comment
夜中にこっそり寝込みを襲うとか
夜中にこっそり城や町に火をつけるとか
川に大量の毒を流すとか
疫病の病人を大量に送り込むとか
そういう卑劣なことをすれば、
ある程度の天下は取れるように感じますが。
卑怯な手段はとらない武士の誇りとかあったのでしょうか?
そういう大将には、人が付いてこないんでしょうか?
信長・秀吉・家康はなぜ強かったのでしょうか?
信長、秀吉、家康はなぜに強かったんでしょうね。信長は鉄砲をいち早く取り入れたりしました。また戦と言えば農作業が忙しい季節は戦ができないのが普通でした。その時代に金銭で戦胃専用の兵士を雇ったのは信長が最初で画期的な出来事だったそうです。
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